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甲州街道を歩く会 [釣洋一]

10月8日(月)15時、日本橋スタート。会費1000円。案内役釣洋一。体育の日に、大久保大和守剛が甲陽鎮ぶ隊を率いて甲府城を目指し、柏尾の大善寺前で土佐の後の板垣退助こと乾退助軍と交戦した戦績跡迄旧道を歩きます。
案内は甲州街道をはじめ、東海道、中山道を5回歩き、日光街道を4回、奥州街道は3回歩き、80日間日本縦断徒歩の旅に成功した釣洋一が当たります。

第1回は日本橋〜追分(伊勢丹角)か、新宿駅東口にしたいと思います。

最初ですから、足慣らしということも考えましたが、何よりも永倉新八がいう 内藤新宿での遊興話があることです。彼らは3月1日府中に泊まっているので、2月30日に丸ノ内の頓所を出立して、僅か6㌔ばかりで内藤新宿に泊まったということです。
甲府100万石を貰えるということでの前祝いという意味でのはしゃぎ振りに納得しても、翌朔日の府中泊まりには大きな疑問が残ります。府中で泊まるくらいなら日野まで足を伸ばしたと考えます。 永倉の話はちょっと眉唾ですが、ここは永倉の言に従いたいと思います。
2回目以降は22、3㌔に設定して、後日発表します。日野までは何の変哲もない道中ですが、彼らの思いを胸に歩きましょう。

天然理心流・試衛館の [釣洋一]

去る7月16日、天然理心流・心武館の塾頭だった高鳥天真さんが、京都道場での稽古を最後に円満退団して、新たに一門の旗揚げをすることになった。
2012年8月1日、18時30分 天然理心流・試衛館道場の開幕です。
何はともあれ、たった一人での旅立ちである。その意気込みは、新選組局長近藤勇の天然理心流の再興にある。高鳥館主は、これまで30年余り釣と行動を共にしてきたばかりか、釣が主宰する『江戸史談会』の(新選組追究部)に属して、近藤、土方、沖田、永倉など隊士達の研究にも熱い情熱を注いできた。 新しい天然理心流・試衛館の誕生を祝うと共に高鳥天真館主の船出を熱き心で支えたいと思う。
天然理心流・試衛館の支援団体『赤誠会』を釣が結成します。
青雲の志をもつ若き新選組ファン達よ(誠)の旗の下に集まって、剣を取る執るもよし、ペンを執る(今時こんな表現はないか) もよし、みんな高鳥館主の応援に出かけよう。釣

高橋先生へ [釣洋一]

フルベッキ写真の研究に半生をかけておられると−−書いたところ、人生をかけての研究ではないと反駁されました。釣の勝手な思いのようでした。ご迷惑をおかけしたのならお詫び致します。
申し訳ありませんでした。お許し下さい。

反論というから、手紙の読み方かと思いました。
古写真のことは、何一ツ首を突っ込んでいないことは、先生もご存知のはずでしょう。 ごちゃごちゃいう必要うはありません。
『似ている』と『同じ』ということではありません。
そのような御高説を伺うとは思いもしませんでした。
そんな区別も出来ていないと思われているようでは、釣もおしまいですね。

龍馬の手紙における『私に似ており候』は、本来、顔が似ているとか、性格が似ているということでしょう。 多分、性格のことだと思ったのですが、前後がお龍の名前のことを書いていることから敢えて、名前のことににしました。
そこで(おりょう)のりょうは龍馬の龍と同じ字ですよという意味か、名前が龍馬で龍馬の名に似ているでしょうということの違いになろうかと思います。名前が同じということは、字が違っても良馬、良午といったことになるわけで、女の名前にはなりません。ましてやお龍の名が龍馬と同じということは有り得ないことなど分かりきったことではないですか。
釣がこんな分別も出来ない男と思われていたのですね。
敢えて申し上げます。父のつけた名が『良』といっているに過ぎないとおっしゃっておりますが、『良』の根拠を示して下さい。
釣がブログに示した根拠にたいする反論をご期待申し上げます。

昔風に79歳の誕生日 [釣洋一]

6月20日は釣の79回目の誕生日でした。それは又土方歳三の144回忌の日でもありました。フルベッキ写真の研究に半生をかけておられる高橋信一先生が一番乗りでした。
丹南藩の家老の子孫杉浦真樹さんが二番手で、三番手の有賀さんとで、皆さんが集まるまで、龍馬の妻お龍の名前について語り合いました。
先日、青山学院大学で高橋先生の講演があった時、高橋先生が鈴木かほる先生に、お龍の名は(良)ではないか?とたずねられたところ、龍馬がお龍に聞いたところ(龍)と書いたので、私に似ていると言い、生まれた時、父がつけた名前ということでした。
お良というのは、『反香魂』の安岡秀峰が勝手に付けた名であるというようなことを言っておられた。
念のため、龍馬が乙女姉さんへ宛てた、お龍の紹介文を探ってみた。
今の名ハ龍と申、私しニにており候。早々たずねしニ、生レし時、父がつれし名よし。と認められている。
問題は、最後の『父がつれ(け)し名(の)よし(由)』と龍馬の関係本での解釈である。確かにこの読み方なら、お龍が生まれた時、父が名付け名前ということになる。 しかし、これでは、最初の『今の名は龍』という一文にそぐわない。
『今の名は龍』というからには、前に別の名があったことを示唆している。 そこで最後の『父がつけし名(の)よし(由)』を『父がつけし名(は)よし(良)』と読めば、今の名は龍と書いた意味に通じる。
今の名は龍という文が、今の二文字がなければ、『名は龍と申』となり、生まれた時、父がつけた名の由、となるが、今の名はと書かれて以上、前の名は別にあったと解釈せざるを得ない。
つまり、お龍が生まれた時、父が付けた名前は『お良(よし)』だったということになる。
お龍が、龍馬に名を聞かれた時、自から『良』と書いたかどうかは定かでないが、龍馬が『よし』と聞いて『良』と書き(りやう)と発音することで、龍馬の(りょう)と似ているとの思いから、龍馬の龍に当て嵌めたのではないか?と勝手な思いに耽っているのだが、いかがなものか−−。漢字で『龍』と一字での女性の名なら、普通なら(たつ)と読んでも、(りょう)や(りゅう)とは読まない。又、『良』も同じで(よし)という以外に(りやう)とは名付けるはずがない。旧仮名遣いでだは、『良』の読み方としては、(りやう)であって、(りょう)ではない。 往時、女性の名は、通常仮名で二文字である。
はる、なつ、あき、ふゆ、つね、みつ、たま、さな、これらの名を漢字に書き変えたり、子の字を加筆したと考えるべきことだと思う。 乙女姉さんの名は、とめが本名で、敬語の(お)を付けて、おとめ姉さんと書くべきところを、龍馬のアイディアで(乙女姉さん)ということになったのではないかと考えているのだが、下司の勘繰りとお叱り被りそうだ!この辺で止めておかなければ、馬脚が現れる。くわばら、くわばら−−。
ただ、時代小説やテレビ時代劇で、女性が名前を聞かれて、
『はい、お美代と申します』
と、自分の名を告げるのに、敬語の(お)付けているからびっくり仰天。困ったものだ。
作家やシナリオ・ライターたちの無神経さにも呆れているのだが、私自身、そのような失敗をどこかでやらかしているのかもネーーゴメン。なぁーんて、謝って済む問題ではないか。
こんな話をしながら80歳への道を歩き出しました。
その後、カトケン、それに女流剣士の久美女が岐阜の恵那から馳せ参じてくれたばかりか、遥々コロラドから臼井さんも駆け付けて下さって、感謝、感謝です。
それにアマリゲスこと天利さんを連れ立った千歳ちゃんもやって来ました。
彼女は来月、下関で行われる直木賞作家の古川薫氏が主宰する勉強会に出席するとのことです。既に、大出俊幸元新人物往来社社長から紹介状を戴いたとのことですが、釣も一筆認めます。古川先生、彼女は釣が主宰する会『江戸史談会』の会員でもありますのでよろしくお願い致します。
今度の日曜日は、第19回の鬼平忌 です。
14時〜雨天決行
新宿区須賀町9
戒行寺(鬼平の菩提寺)会費2000円
夢を爪弾くファンタジック・ギターの伊藤芳輝さんの演奏があります。もちろん鬼平の主題曲を初めと最後の二度、あなたの心を揺さ振ります。
友人、知人お誘い合わせの上、是非、お出かけ下さい。
心よりお待ち致しております。釣でした。

今月の江戸史談会 [釣洋一]

倉持先生の都合により、急遽中止になりましたが、先日、お父さんを亡くされたカトケンを励ます会と茂呂司さんの誕生会に切り代えて、通常通り行います。
4月28日(土)16時30分 会費4000円
お友達お誘い合わせの上、お越し下さいますようお待ち致しております。釣

黒鉄ヒロシ先生のパーティー [釣洋一]

4月19日の夜、黒鉄ヒロシ先生の『千思万考』のパーティーに出席しました。昨年に引き続き2度目のことです。先生にご挨拶申し上げた後、是非、トミーこと長野桂次郎を取り上げて下さい−−とトミー・ポルカのCDを差し上げてお願いしたところ、先生は兄小花和重太郎とビールを飲んでいる桂次郎の写真を見て、長野智子さんのご先祖だと云われた。正にその通りで、長野智子さんにもご挨拶をして、トミーのことを先生にお願いしたことを伝えた。 新選組の永倉新八が甲州柏尾の戦いに敗れて、江戸へ引き揚げた後、近藤、土方と訣別、友人の芳賀とともに靖兵隊を組織したいわれているが、靖兵隊は幕臣達が組織したもので、江戸脱走の靖兵隊の隊長が長野桂次郎であり、兄の小花和重太郎であった。永倉はその靖兵隊に加わったに過ぎない。
長野桂次郎がポーハタン号で渡米、アメリカの貴婦人達に大人気を博し、トミー・ポルカという曲がつくられた。そのCDをトミーのご子孫である長野智子さんに差し上げていたし、今回、黒鉄先生にも差し上げて、是非、番組で取り上げて頂きたいとお願いした次第である。
その後、懇親会にも出て楽しいひと時を過ごした。帰り際、井上陽水さんにご挨拶して、春音がラテン歌手であることを話したところ、陽水さんは、よろしくお伝え下さいと、二度も言って下さった。とても丁寧で、やさしく、そして謙虚な態度に魅了された。
陽水さん、有難うございました。

カトケンのお父さんを送る [釣洋一]

カトケンのお父さんが4月14日に逝かれた。その日、カトケンからの訃報に接し愕然とした。逝くには余りにも 早過ぎます。釣より10歳も若いのですから−−お父さんは、伊能忠敬の研究に情熱を燃やし、凄い成果をあげておられたし、感心させられた。それは2009年3月14日のことだった。静岡の郷土史家である前田匡一郎さんとカトケンとの案内で、静岡の墓所巡りをした後の翌朝、伊能の道路調査を始めたお父さんは、道路の角度が2度合わないんですよ。とそれはそれはもう熱心に語っていたことを懐かしく思い出しながら、奉書に弔辞を認めた。送ろうと思ったのだが直接、仏前に捧げようと思い直して、新幹線に飛び乗り、加藤家の菩提寺である長源院の通夜に参じた。 その席で北町奉行石河土佐守政朝、政武父子、そして一橋家の家老だった石河土佐守政平の後裔である石河力さんと久しぶりに出会った。
数多い弔問客に挨拶を続けるお母さんにお姉さん、それにカトケン、大変そうだった。 旗本加藤筑後守忠恕の後裔として、その名跡を継ぐことだし、益々の大飛翔を遂げることを期待しよう。
絶命は世の倣いとはいいながら、やはり悲しいものである。その悲しみで胸張り裂けんばかりの思いを抑えながら、お父さんの御冥福を祈ってのトンボ帰りだった。合掌。

31年ぶりの再会! [釣洋一]

4月18日の夜、局長と呼ばれる女優水戸部千希巳さんの案内で、俳優神太郎さんが来店、31年ぶりに嬉しい再会となった。
神さんは1982年2月14日に放送された草刈正雄の『鞍馬天狗』に、新選組の永倉新八役で出演していたのだが、この作品の時代考証を製作のテレパックから依頼され、前年1981年(昭和56年)12月25日、緑山スタジオの撮影現場を訪れ、第9話(流狼)を見学した。その時、近藤勇役の財津一郎さんと神太郎さんと役について親しく語り合い、記念撮影をしたのだが、それ以来の再会であった。
先月、36年ぶりにスズケンこと鈴木健太郎さんと感激的な再会を果たしたばかりである。何とも嬉しいことではないか。
その場には、古写真研究家の森重和雄さんに朗読の神谷尚武さん、天然理心流の女剣士である小木曾久美さん。それに菅千歳さんらが居合わせて、最高に盛り上がった。
春音のピアノで神さんと神谷さんが歌の競演で大ハッスルだった。神さん会えて本当に嬉しかった。再眉の機会あることを楽しみにして励みます。釣
DSC02686.jpg鞍馬天狗9話淀の川舟改題流狼1981.2.14放映.jpg
昭和57年(1982年)2月14日放映、草刈正雄の「鞍馬天狗」。向かって左から神太郎、釣洋一、財津一郎

3月3日(土)の江戸史談会 [釣洋一]

高橋信一先生の『坂本龍馬の妻お龍の写真と内田九一のスタジオの変遷』と題した講演を行います。
3月3日(土)17時〜会費4000円(懇親会費を含む)

第7回新選組始末記 [釣洋一]

2月23日(木)19時■春廼舎◆釣洋一
今回は、清河八郎の横死についての話が中心です。

3月15日(木)関東の武骨13名

4月12日(木)角力を斬る・内山彦次郎暗殺一件 などを順次語ります。